YouTubeで非常に感動的な動画を見ました。
『アルツハイマー病の元バレリーナ、「白鳥の湖」聞いて踊りを思い出す』というタイトルの動画です。
2分弱の短い動画ですが、認知症が進んでしまった女性が白鳥の湖を聞いて踊りだすというもの。
彼女の名前はマルタ・C・ゴンザレスさん。マルタ・シンタやロザムンダと呼ばれた人です。
彼女は生まれた正確な日付もわからない上に、記憶も曖昧で、海外ではその経歴に注目を集めました。
一体どんな人生を歩んで来たのか。
彼女の人生、経歴、実績、またどんな女性だったのかについて明らかになっている範囲でまとめてみます。
マルタ・シンタは1920年代に生まれた?
マルタ・シンタ・ゴンザレスさんは1920年代半ばにスペインの首都マドリードで生まれました。
正確な生年月日は分かっていません。IDが書き換えられていたそうです。
晩年を過ごした施設の代表ビラール氏は1924年頃に生まれたのではないかと語っています。
マルタさんの年齢にはいくつかの説があります。
まずマルタさんはニューヨークの高校を卒業していてプリマの称号を得ています。
1966年ニューヨークのニコライヤボルスキー高校の卒業書では19歳と書かれています。
これだとマルタさんの年齢は70歳程度となり流石に違うのではないかとされています。
また同じ機関が発行した文書では1978年6月3日で25歳とされていて、3日後の6月6日に発行された証書には23歳とされています。
もうめちゃくちゃ(笑)
1978年で25歳なら2021年で43歳。さすがにサバを読むにも程があります。
彼女を最後まで診ていた施設長の方が彼女の年齢を正確に予想できそうです。
それが1924年。
マルタさんは2019年になくなったので95歳まで行きたということになります。
マルタ・シンタはプリマバレリーナだった
マルタ・シンタ・ゴンザレスさんに関する情報は世界中から挙げられています。
その一つにマルタさんは1960年代にニューヨークバレエ団のプリマバレリーナだったというものがあります。
上述のとおりマルタさんはプリマの称号を高校卒業時に得ています。
プロになってから彼女が在籍していたニューヨークバレエ団は今日存在しておらず(ニューヨークシティーバレエ団とは違う模様)、小さな会社で活動していた可能性が高いです。
というのも大きな会社なら彼女の名前が在籍記録に残っているはずだからです。
新聞の切り抜きによると彼女はアメリカやキューバで活動していました。
マルタ・シンタは振付師としても活躍した
マルタさんに関する調査では彼女がかつては振付師であったとする文書も見つかっています。
文書によると彼女が10代の間に、20個もの作品を振り付けしたかもしれないとあります。
彼女は自分の振り付けのバレエをアメリカ、キューバやヨーロッパで上演していました。
ラテンアメリカで最も歴史ある雑誌「ボヘミア」にこのような文章がありました。
Rosamunda、ちょうど米国で大きな成功を達成している古典舞踊の名手は、バレエで傑出した数字、優れた振付師である、彼女の若い年齢(18歳)にも関わらず、彼女が持つ10作品を上演しているため、 「ウィーンの夜」、「アンクル・トムの猫」、「乞食」、「前兆」などの振り付けと独自の台本。そして「最後のダンス」、ヨーロッパの会社によって買収されている過程にあるこのバレエは、すぐにそのレパートリーに組み込まれます。
引用:https://www.balletherald.com/ballerina-with-alzheimers-marta-cinta/
グーグル翻訳なのでちょっとあれですが、ロザムンダ(マルタさん)は凄まじい才能で18歳で10作品を上演しているとありますね。
さらに自分の考えた振り付け台本がヨーロッパの会社に売れたともあります。
ものすごい才能をもった女性だったということです。
マルタ・シンタはどんな女性だった?
マルタさんはバレエの講師も務めていました。
ある教え子の女性は70年代の初めに彼女に教わったといいます。
女性は語ります。
「マルタ先生はスペイン・マドリードのレティーロ地区に住んでいました。彼女の家にはダンススタジオがあり、そこでバレエを教えていました」
「私が小さい頃、彼女の母親も見ました。母親は背が低く、対象的にマルタは大きかったです。とても色白で優雅でここまで美しい白人には出会ったことがありません」
「彼女が歩いたとき、彼女が動いたとき、彼女は本当に優雅で神聖でした」
「また非常に気の強い女性でした。難しくは無いもののさまざまな課題を出されました」
「彼女は非常に人間的でもありました。面倒見が良く、慎重に接する人でした。私にとっては妖精のような存在でした」
教え子の女性の話をまとめると、マルタさんはスタイルが良く、色白で優雅で妖精のように美しい。
そして芯が強く、面倒見が良い女性ということになります。完璧な女性ですね。
マルタ・シンタが最後に愛した男性
マルタさんは晩年、外科医のラウル・フェルナンデス・スアレスさんと一緒に生活していました。
結婚した事実は明らかにされていません。
彼女が老人ホームに入るまでの数十年間は謎に包まれているのでいつ知り合ったかもわかりません。
ただホームに来るときにはもう夫のラウルさんは病に侵されていたということ。
そしてマルタさんは夫を失った後に、ホームで知り合った男性に恋をします。
その男性はとてもハンサムで冗談の上手い優しい人でした。
残念ながらその恋は実ることはありませんでしたが、最後まで恋を楽しんだそうです。
まとめ マルタ・シンタ・ゴンザレスの人生
マルタさんは素晴らしい才能に溢れた人でした。
プリマバレリーナとして、バレエ教師として、そして一人の女性として人生を謳歌したのでしょう。
晩年はホームのスタッフと温かい生活を送ったといいます。
また無くなる数ヶ月前にはスペインのバレエ教室を訪問しておりその時も子どもたちと踊っています。
本当に楽しそうですね。
天国でも子どもたちに教えながら、自分で振り付けたバレエを踊っていてほしいですね。